果ての国まで何マイル

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宗教に懐疑的になった話

エコゴリです。

東日本大震災が起きた日、体験した話です。

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大変なことが起きている

2011年3月11日の午後14時46分です。

当時、僕は大学生で、就活の真っ最中でした。

その日は、ある企業の個別説明会に参加中でした。ゆっくりと、大きな揺れが始まったように記憶しています。

高層ビルの上階だったので、かなり激しく揺れました。

会場はざわついた雰囲気となり、東北の方で大きな地震があったようだ、との説明がありました。

当然、説明会は即中止となり、帰らざるを得なくなったのです。

 

そこは、東京の南の方。

一方、僕の家は東京の北の方。

電車は動いていません。

車は、道路で大渋滞を起こしています。

 

ネットの情報もまだ不十分でしたが、明らかに、物心がついてから経験したことも無いような大変なことが起きていることが分かりました。

 

 

2人組のおばちゃん

とりあえず、歩いて帰るしかないと悟った僕は、スーツに革靴という歩くには最悪の状態で歩き始めたのです。

あまり土地勘はありませんでしたが、とりあえず道路の標識を頼りに、ひたすら北を目指して歩いていました。

 

1時間くらい歩いた頃だったでしょうか。

2人組のおばちゃんが話しかけてきました。

正直、話の内容は覚えていません。大変だねぇ〜という感じで、最初はまぁ話好きのおばちゃんたちに話しかけられたな、という印象でした。

 

 

 

宗教の話

しばらく話をしていると、ちょっと話の内容に違和感を感じ始めました。

 

〇〇先生はねぇ〜すごいのよぉ〜

海外で講演もしたりしてぇ〜

 

そんなことを言いながら、その宗教団体が発行する新聞記事を見せてきます。

その段階でようやく、あぁこれは宗教の勧誘なんだ、と気付いた僕は、こんな時に何を考えているんだろう、と軽蔑の眼差しを向けざるを得ませんでした。

非常事態で、人々の気が動転している時の方が勧誘に成功し易いというマニュアルでもあるのでしょうか。

異様だと思ったのは、一度僕が話を聞いてくれると認識するやいなや、まるで何事も起きなかった普通の日常のように振る舞い、勧誘に夢中になっていたことです。

急に冷たく対応するようになった僕にこりゃダメだと思ったのか、不満げな顔をしながら離れていくおばちゃん2人でした。

今となっては信仰心というものはこんなにも凄いのかと思います。少なくとも彼女たちにとっては、これから自分たちの身に起こるかもしれない震災の影響による今後の生活の不安よりも、信者を勧誘することの方が重要で、大切だったということです。

その不満顔の使いどころ、違うんじゃない?

 

信じたい人は信じればいいのかもしれませんが、あらゆることが科学的に説明できるようになってきた現代において、宗教にどのような存在意義があるのか、釈然としません。

特に、生きるのに困らない日本において、すがるものの必要性を感じません。

少なくとも、彼女たちは宗教団体のビジネスの駒として使われているとしか思えません。

 

僕が人に筋トレや米国株、マイルについて良かれと思って勧めるのも、宗教の布教的な性質を帯びているのでしょうか。考えさせられます。

 

 

 

食べることは生きること

余談ですが、6時間ほど歩き続け、ようやくもう少しで家だという場所まで帰ってきた時です。

あまりにもお腹が空いていることに気付き、すき家が目に入ったのです。今思えば食事付きの学生マンションだったので、帰れば食事が出るはずなのですが、その時は命の危機を感じたのかもしれません。迷わず、かどうかは覚えてないのですが、入店して牛丼を食べたと記憶しています。

茫然と、しかし一瞬で平らげました。

食事をするということは、生きるためなんだな、と強く思いました。

 

 

最後に 

実際に被災された方にとっては、あまりにもしょうもない体験でしかありませんが、僕の東日本大震災の記憶です。

宗教に対する不信感が募った出来事でした。

それでは。