人が時代をつくる、時代が人をつくる。この朝鮮半島情勢で感じること。
エコゴリです。
興味が尽きない。
人間臭さ
先日、以下記事にて、米朝首脳会談の実施が不透明だと書きました。
その矢先、慌ててアメリカに対する会談の再設定要請と2度目の南北首脳会談に踏み切った北朝鮮。
僕が新聞を読み始めて国際政治情勢に興味を持つようになってから4年ほど経ちますが、
ここまで人間臭い政治の展開は初めてです。
もちろん、北朝鮮という日本の安全保障に直接関わる国がこれからどうなるのか、という重大な局面ですので、かなり我が事として注目しているからそう思うのかもしれません。
それにしてもやはり、僕とさほど年代の変わらないひとりのおっちゃんです。
会談の中止を通告してまで完全な非核化を求める覚悟を示し、経済制裁と軍事攻撃を排除しない圧力姿勢に舞い戻ろうとするアメリカを前に、震え上らざるを得なかった心境はいかばかりでしょうか。
これまでのような駆け引きによって譲歩を引き出せるかと思いきや、今回はさすがにトランプ大統領の方が一枚も二枚も上手でした。
人が時代をつくる
ところで先日、中曽根元首相が100歳を迎えられるにあたって出されたコメントの中で、
「人が時代をつくる。」
との言葉がありました。
これを見た時、まさに現在の半島情勢がそれを表しているな、と思いました。
政治や世界情勢ってなんとなく自分とは関係のない遠い世界のものだと思いがちですが、
結局は自分とは大して変わらない人がいて、
そんな人たちによってそれぞれの国で政治がおこなわれ、
それらが、利害があれど交わって、
積み重なってひとつの時代が作られ、
そして歴史になっていくんだなということを強く感じます。
どんな素晴らしい、あるいは悲惨な時代も、人から始まるのです。
そういう意味では、北朝鮮というどこか得体の知れない国といえども、人がどうしようどうしようと慌てながら今の時代をつくっているのです。
不謹慎を承知で言えば、一族のくだらないエゴに巻き込まれる多くの人々もまた、時代をつくっていると言えるのでしょう。
どんな時代になるか
未来から振り返ると、今回の北朝鮮情勢はどのように語られることになるのでしょうか。
どう考えても、北朝鮮は核を放棄するしかないように思います。
なぜなら、アメリカが北朝鮮の核保有を認めるはずがないからです。
イラン核合意離脱との整合性がとれなくなり、国際社会に対する説明がつきません。
既に核兵器を所有していると思われる北朝鮮と、未だ開発段階のイランを比べるのはおかしいとの議論もあるようですが(北朝鮮自身の主張か?)、それならば隠れて核開発をしたもの勝ちになってしまいます。
世界の核不拡散体制が崩壊することにも繋がるため、CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な核解体)はアメリカにとって譲れない一線であると思います。
そう考えると、楽観的なのかもしれませんが、トランプ大統領のノーベル平和賞受賞も現実味を帯びてくるのではないでしょうか。
日本にとっては、拉致被害者が数十年ぶりに祖国の地を踏むことになる。
期待を込めて、そんな時代だったと振り返られることになるといいですね。
最後に
中曽根元首相はこうも言っています。
「時代が人をつくる。」
彼らもまた、時代によって生み出され、翻弄されているに過ぎないのかもしれません。
それでは。